安藤義茂 逝去とその後

安藤義茂 逝去とその後
画家が名声を得ると堕落する、という安藤の発想はいささか窮屈すぎるが、今日の画壇を見ると確かにそう考えざるを得ない事実は多々ある。

そもそも彼にとって絵を描くことや芸術品の創造は「無窮の道であり天へ通ずる道」なのであって、画才を手段に社会的名声や地位を得るのが目的ではなく完璧な芸術至上主義の立場でまとわりつく名声や地位のすべてを排除してしかるべきだったのだ。

昭和42年10月18日京都市上京区の自宅にて逝去。享年79歳。

百子の回想によれば、病床についても百子が枕元に座れば絵の話ばかりで、天井や襖に絵を描き重ねる幻想を追っていて病苦を感じていないようだったという。

没して2ヵ月後の12月、安藤義茂画集「刀画」(安藤百子編集)が発行される。
昭和46年6月、京都市美術館で安藤義茂遺作刀画展開催。
昭和55年11月、北九州市立美術館で安藤義茂展開催。

昭和59年にご遺族と神戸のバートンホールの館主の手で膨大な安藤作品の整理が行われ、11月、民間で初めての展覧会がギャラリーバートンで開催された。

当時、作品整理に携わった方の言によれば、生涯教師を続けた百子は安藤の絵を一点たりとも売らず段ボール箱にぎっしりと保存していて、数えると総点数は一万点くらいはあったが、そのうち三分の二は湿気によるカビで駄目になっていたという。 


1. Posted by Nabe 2008年12月30日 20:04
ほあぁ~~
こんな生涯だったのですか~。
絵のことばかり考えててぶれがなかったんですねえ。

書きためた絵のうち三分の二も
駄目になってたって
なんと残念なことでしょう。

2. Posted by 店主 2009年01月12日 17:16
はは~、年末にありがたいコメントをいただきながらコメントを見ていませんでした。すみません。

安藤義茂の作品が画廊のスタートに拍車をかけてくれたものですから、ぼくも彼の生涯を一気にかくつもりだったのですが、なかなか進みません。

駄目になった作品には相当の名品があったと思われます。悔しいですね。