080811

画道は天へ通ずるの道なり、無窮の道なり。
彼が書いた「自戒の言」の冒頭に出てくる言葉だが、職種を問わずいろいろな人と真摯な話をする度にぼくの脳裏にこの言葉のイメージが浮かんでくる。

特に、昨今のもの造りの人たちにはかれの言葉を強く意識してもらいたいと思う。あまりにも性急に売れるという結果を出そうとしている。

ともあれ頑固一徹、求道者のような画家安藤の生涯を簡単にたどってみよう。

安藤家は伊予の国に精力を張っていた河野通盛が創建した善応寺を代々守護し、河野家代々の主君とは同格の身分で、六百有余年の重い家系であった。その後安藤家は五家に分かれるが、明治18年没の祖父伝蔵は傑物だった。
父は松山きっての豪商浜田家から養子として迎えられ、後に松山の一番町に大邸宅を構え、事業を拡大させたという。
母は善応寺の横谷にある庄屋、得居家から迎えられ、才気と豊かな情操を兼ね備えた人で、後に、安藤家が没落した後も希望を失わず家運を盛り返した中心人物だったといわれる。


080810

美術系の勉強をされたのでしょうね?とは画廊開設時によく訊かれた質問。

現在でもそんな風に思われることも多く、果ては、ここに飾ってある絵は全部ご主人が描いてるんですか、すごいな~。いい(高い)値段ですね~。
これには参ります。

画廊というからには、絵の値段はそうとう高いんでしょうな~、一枚2~3万円はするでしょう?
これにも少々参ります。

絵の値段なんて子どもに名前を付けるようなものなんだろうね。
参ったな~。

これ棟方志功だから買ってくださいよ、えっ違うの?困ったな~、帰りのバス賃くらい出してくださいよ。
これうちに有る同じもので巧芸色紙ですよ。
バス賃っていくらですか?800円?
参ったな~

写真は1987年5月 安藤義茂展(松山 萬翠荘)で取材の記者に説明中の店主 

まだまだ参ったな~は続きます


080808 開廊して二年目、大阪の画商さんが愛媛県出身の画家だから扱ってみないか、と数枚の絵を持ち込んできた。

 すべて紙に描かれた水彩画で表面を削っていて油彩画いじょうの奥行きと迫力があった。
 花飾りをつけた女性像が一見ルオー風に感じられた。
画面の奥のもう一つ奥からかもし出される情感とそれを生み出す作家の意思のパワーに参ってしまった。


1. Posted by Nabe 2008年08月10日 17:26
なんとも素晴らしい企画が始動したものだ。

店主を知る者なら、そのことは容易に推し測れるはず。
店主の卓越した美術観が、後世に残されようとする貴重な
そして記念すべき瞬間じゃな。まことに楽しみだ。

期待と賞賛の拍手、いつまでも鳴りやまず。
パチパチパチパチパチ、パチパチパチパチパチ、パチパチパチパチパチ、パチパチパチパチパチパチ、パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ        謎の人物Waren Nabe
2. Posted by 店主 2008年08月10日 18:09
warenabeさんありがとう。そうとうおだてられた気分ですが、元来おだてにめちゃくちゃ弱いのでがんばって書きます。


はじめに
小林秀雄は著書の中で「自分の喜びも悲しみも託して、この職業に深入りし、自分の職業の命ずる特殊な具体的技術のなかに生きる流儀を感得している」と語っている。

 自宅の一部屋に絵を飾り、ホームギャラリーとして画廊を開設して早いもので25年になろうとしている。
 この間の職業からくる具体的、技術的な経験というものが彼のいうようにやはりぼくの人生観や思考を形作っているように思う。

 自分の生きる流儀を決めるに至った職業にまつわる身近な経験、たとえば作品の売買、作家やコレクターとの交流の中から偏見とまではいわないがぼくの独断に満ちた美術論を思いつくままに書いてみようと思う。


1. Posted by 岡崎 正樹 2008年08月11日 21:04
ギャラリーかわにし
店主 様

貴ギャラリーにお伺いして「美派」を立ち上げたとの事、早速アクセスしました。
先ず感じたことは、「自分の生きる流儀を決めるに至った身近な経験から偏見とまではいわないがぼくの独断に満ちた美術論」に薀蓄を傾けるとのこと。
やはり長年の実績から出てくる言葉だと思いました。
今は仕事柄同じように世間の学芸員というのはどんな仕事をしているかだいぶ古いものですが「美の裏方学芸員からのメッセージ」という本を読んでいます。
大きな国立、県立の美術館でも担当する人達の苦悩が見えてくるようです。この年では同じことはできませんが経験者は語るというところでしょうか。
ギャリーかわにしのファンとして今後の随想を楽しみにしています。
岡崎