画道は天へ通ずるの道なり、無窮の道なり。
彼が書いた「自戒の言」の冒頭に出てくる言葉だが、職種を問わずいろいろな人と真摯な話をする度にぼくの脳裏にこの言葉のイメージが浮かんでくる。
特に、昨今のもの造りの人たちにはかれの言葉を強く意識してもらいたいと思う。あまりにも性急に売れるという結果を出そうとしている。
ともあれ頑固一徹、求道者のような画家安藤の生涯を簡単にたどってみよう。
安藤家は伊予の国に精力を張っていた河野通盛が創建した善応寺を代々守護し、河野家代々の主君とは同格の身分で、六百有余年の重い家系であった。その後安藤家は五家に分かれるが、明治18年没の祖父伝蔵は傑物だった。
父は松山きっての豪商浜田家から養子として迎えられ、後に松山の一番町に大邸宅を構え、事業を拡大させたという。
母は善応寺の横谷にある庄屋、得居家から迎えられ、才気と豊かな情操を兼ね備えた人で、後に、安藤家が没落した後も希望を失わず家運を盛り返した中心人物だったといわれる。