安藤義茂 朝鮮~京都へ

080906

15年の教師生活に区切りをつけ、絵を描くことに専念するため朝鮮へ行く。というのも朝鮮の釜山で楽器商を営んでいた両親の生活にゆとりができかけていたからである。
一男一女が生まれ5人家族になる。父が作ってくれた特別天井の高い家で主に鮮人市場を中心にした大作の絵を描き帝展に初出品し初入選する。入選を機に釜山の新聞は書きたて一躍大家にまつりあげられが、極力来訪者を断り絵に専念する。
画家としてやっと自立の目途がついたとき、妻の富美子が京城の病院で5人の子どもを残し病死する。昭和9年3月のことである。

昭和10年3月京都市に移住し、4月横山百子と結婚する。